オクノホソミチデ

好きなものをさがす旅

経営不振のわが社、終わりのはじまり。そして「識学」。果たして年末まで会社はもつだろうか。

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2週間前の週末、同僚とわたしはカフェでおいしいフレンチトーストを食べながら「会社はいつまでもつか」と予想を立てていた。その時は何となくの雰囲気で、年末に何らかの結論が出るのではないかという考えで一致していました。

そして先週、うちの会社の顔的な商品の在庫をヤフオクに出していくようにと上からお達しがあった。原価と送料と発送作業にともなう人件費程度の価格設定で出すという。利益より現金化が目的ってことですよねこれは。それと前後して全国に10ある店舗でもいろんなものを半額セールで販売するよう指示があった。
わー、いよいよ始まりました。終わりの始まりってやつです。

 

が!
そんな状況で、社長は社員のマネージメントに「識学」というものを取り入れ始めました。最近急に社長の言動が右傾化したなと思ったら「識学」にのっとったものだったんですね。なるほどなるほど。

識学をざっと調べてみると、仕事に私的感情をはさまずオートマチックにトップダウンのオーダーを、個々がいかに効率よくこなすかを追求していく管理法のようです。意見や提案があるとき、他部署に何かを依頼するときも一旦直属の上司を通して話をしないといけないらしい。上司の上司に直談判するのは禁止。
前の記事で書いたとおり、これまでうちは役職の上下関係なく意見を出し合うのをよしとしてきた会社だったのに。↓

 

okhosomiti.hatenablog.com

 

当然スタッフからは不平不満が噴出して退職者が続出している。おそらく社長は経営がうまくいかず精神が病んでいるので口応え(意見する)スタッフは切り捨てていわゆるイエスマンだけで組織を再構築したいのかもしれない。(実際に正社員5人のうち4人の退職が決まっています)

でもこんな会社の危機にベテラン社員をやめさせるのが得策であるはずがないとわたしは思うんだけどなぁ。こういう状況も含めて会社の先行きはもうないなと思うんですよね。

あと個人的に「識学」って目標(売上)だけにフォーカスして人間性とか感情を持ち込んではいけないみたいなところが嫌い。仕事は多かれ少なかれそういうものというのもよく理解できるけど、潔癖なまでにそれを強要してくるのがうすら寒い。社員は道具=歯車。弱者切り捨て。ネオコンとか新自由主義的なものを感じてしまうのです。

と言いつつもわたしの場合アラフィフでもう後がありません。今後もできる限り会社が継続するように力を尽くすしかないんですが。もちろん次の職を探しつつですけどね。